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きれいに酒を飲むということ

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表題について。

 

わたしはアルコール摂取というのは一種の自己破壊行為だと思っている。

人は社会的な生物であるから、その中で構成員としていろいろと我慢しなければ いけないことはある。本来一人で生きていれば生まれるはずのない、「相手に 伝わらない」という虚しさ。思いやるがゆえ、逆に生まれる亀裂。

そうしたものが「ストレス」を生む。

ストレスを発散するために、人はエステに行って体のケアをする。 ボルダリングを行う。こうした前向きな発散方法は余暇の基本であり 誰もがイメージできるところだ。

一方で、正反対に、自分をあえて傷つける方向に走ることで、

「あぁ、俺ってこんなダメな奴なんだ。あのまともそうに被っている

皮は本当の俺じゃないことが証明できた」

と思う行為もありうる。

ドラッグをやったり酒を飲んだりするのがその代表例

といえよう。 (もちろん私がドラッグを摂取したことは、一度もない)

しかし人は構成員であるからこそ、

そうした自己破壊行為にすら社会性を

見出す

。これがわたしからすると至って滑稽な行為に見える。

要するに、どうせ迷惑をかける「飲酒」という行為であれば、できる限り 集団で封じ込めることにより、正当性を主張する涙ぐましい行為をしていると いうのか、フロント活動よろしく社会に対して自らの正当性を誇示しているのか、、、

頭で考えれば考えるほど、「飲まないほうがいい」という答えがでるに

決まっているではないか。

こうしたコントロールされた状況下で「きれいに呑む」とは釈迦の手のひらで 踊る孫悟空のように、とてもナンセンスなことだと言える。

ということで、

わたしは自己破壊を繰り返しながら、かつコントロールされた

コミュニティも破壊する。

二重の破壊を行いながら、ギリギリのところで 毎日酔いつぶれるまで飲んでいる。

きれいに呑むという言葉は私の辞書には、残念ながら、ないのだ。