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プロジェクトはなぜ感性的になってしまうのか

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人と人が仕事をする以上、「自分の意見や目指していることが正しい」とみんな考えたいだろうと思う。誰もが自分が間違っていると思いながら仕事をしている人はいない。

今日は、プロジェクトが感性的な意見に占められてしまうことの危険性について 述べてみたい。

「論理的」と「感性的」

人が自分の正しさを主張する場合、

  • 論理的な観点で、客観的な証拠をもとに相手を説得する

  • 感性的な観点・経験からくる観点で、直感的な証拠をもとに相手を説得する

の2パターンが考えられると思う。

大抵の場合、「論理的な観点」をもとに議論が進んでいくが、 戦争と同じでお互い「論理的な観点」の正義をもとに議論を積み重ねていくと、 論点がこんがらがったときに、お互い、あるいはチーム内で八方塞がりになってしまう ことはよくある。

こういった、まさに「ここぞ」というときに「感性的な観点」の意見が忍び寄ってくる。

「僕の過去の経験からはこういうときにこうした対処方法を取ると〜」といったような 意見だ。

別にこうした意見で議論の相手を説得することは否定はしないが、 後から振り返ったときにそうした意見が正しかったか、と再検証すると、 間違っていたことも多いと思う。

「感性的な意見」が常識になる恐ろしさ

仕事が煮詰まってくると、あるタイミングで

「感性的な意見」のほうが常識的になってしまう

ターニングポイントが訪れることがある。

これが何よりも恐ろしい。現場では意見は多数決で決められ、客観的な意見は 脇に退けられる。

それが常態化してしまうのだ。

もはやこうなってしまうと、仮にメンバーの中に「論理的な意見」を胸に秘める人物が いたとしても言い出せないような状況になってしまう。

その結果、プロジェクトが炎上したり、着地点が見いだせないような状況になってしまう ことが僕の経験上もよくあった。

これはおそらく、もはやプロジェクトで出される意見が、自分の立場を示した(と思われる)ものに埋め尽くされてしまい、

お互い「論理的な意見」と信じられないような状況が生まれてしまうから

ではないか。

何よりも大事なのは「論理的な観点で、客観的な証拠」

それを防ぐには、常に自分たちのプロジェクトがファクトをベースに議論ができているか を再検証することだ。

検証の場として重要なのはMTGである

。プロダクトオーナー・プロジェクトオーナーは MTGの場を民主的な議論の場として運営せねばいけないと思う。

単に自らの意見を主張したり、指示を与える場として利用するのであれば、全メンバーを 一堂に集める必要はない。チャットツールでの連絡で十分である。

僕は、MTGを意見を聞いてよりよい解決策を出す場としてとても重要視している。

そして、グループチャット等での兆候を逃さないということも重要である。 なにか疑問に感じている人物がいれば、個別でもよいので確認をする。

多分それを気をつけるだけで、

プロジェクトが主観の罠に陥っていくことは

避けられる

と思う。僕も、今後ももちろんこうした点には気をつけていきたいと思う。

Aymanejed

/ Pixabay